『手札が多めのビクトリア』の「裏切り」とは、ランコムがクロエの両親と妹の逝去を知りながら、任務を続けさせるため約3年間その事実を知らせなかったことです。
兄のように信頼していた上司から家族の逝去を隠されていたと知ったクロエは、自分が大切な部下ではなく「使いやすい道具」として扱われていたのではないかと受け止め、ハグル王国の組織を去ります。この出来事こそ、「クロエ」が「ビクトリア」として人生をやり直す物語の出発点です。
※この記事では『手札が多めのビクトリア』の原作に関する重要なネタバレを含みます。これから物語を楽しみたい方はご注意ください。
『手札が多めのビクトリア』の裏切りとは?ランコムが隠した真実
結論から整理すると、ランコムの裏切りは「クロエを敵に売った」「罠にはめて命を狙った」といった分かりやすい敵対行為ではありません。
クロエの実家が火事になり、両親と妹が亡くなったことを知りながら、その事実を本人に伝えなかったことが、クロエにとって決定的な裏切りになりました。
ここが少し分かりにくいところですよね。
命を狙われたわけではないのに、なぜクロエは長年所属した組織を捨て、自分の逝去まで偽装するほどの決断をしたのでしょうか。
その理由は、「家族の逝去を隠された」という事実だけでなく、誰より信頼していたランコムが、クロエ自身に人生を選ばせなかったことにあります。
ランコムはクロエの家族の逝去を知っていた
ランコム側の事情を見ると、クロエの実家で火災が発生し、家族が助からなかったことを彼は把握していました。
しかし当時のクロエは、彼女抜きでは進めるのが難しいほど重要な任務に就いています。
ランコムは、家族思いのクロエへ訃報を知らせれば平常心を失い、仕事に影響する可能性があると判断しました。そのため「大きな仕事が終わってから知らせよう」と、伝えることを先送りにします。
任務の最中に大きな精神的ショックを与えれば、クロエ本人だけではなく周囲の工作員まで危険にさらすかもしれない。
ランコムからすると、最初はそんな組織上の判断だったのでしょう。
ここまでだけなら、「危険な任務中だったので知らせる時期を慎重に選んだ」と理解する余地もあります。
問題は、その状態が一時的では終わらなかったことでした。
「任務が終わったら」が繰り返され、約3年が過ぎた
クロエほど優秀な工作員には、次々と重要な仕事が回ってきます。
一つの任務が終わっても、また次の任務がある。そうして知らせるタイミングが先送りされ続け、クロエが家族の逝去を知った時には、すでに約3年が経過していました。
この「約3年」という長さがとても重要です。
数日や数週間ではありません。
クロエ自身も、その3年間を振り返って「知らせる機会はあったはずだ」と受け止めています。
つまり彼女が傷ついたのは、単に訃報を聞くのが遅れたからではありません。
自分の気持ちや家族よりも、工作員としての能力と任務の方を優先されたと理解してしまったことが決定的でした。
私は、この点を押さえることが「ランコムの裏切り」を理解するうえで一番大切だと思います。
ランコムにはランコムなりの仕事上の判断がありました。しかしクロエから見れば、人生で最も大切な情報を本人の知らないところで管理されていたわけです。
しかも、それをしたのが知らない上官ではなく、兄のように慕っていたランコムでした。
だからこそ傷は深かったのでしょう。
約3年間という時間がクロエから奪ったもの
さらに考えたいのが、クロエが失ったのは「家族の訃報を知るタイミング」だけではないという点です。
もし早い段階で家族の逝去を知らされていれば、悲しむことも、仕事を休むことも、今後の人生について考えることもできました。
場合によっては、その時点で組織に残るかどうかを考え直していたかもしれません。
ところが実際には、家族がもう帰ってこないことを知らないまま、クロエは約3年間も組織のために働き続けました。
つまりランコムは、結果として「悲しむ時期」だけでなく、「その事実を踏まえて人生を選び直す機会」までクロエから奪ってしまったとも考えられます。
この視点で見ると、クロエがなぜあれほど強い拒絶を示したのか、より分かりやすくなりますね。
クロエはなぜランコムを兄のように信頼していた?
ランコムの行動がクロエの人生を変えるほど大きな「裏切り」になった理由には、二人の長い関係があります。
ランコムは単なる上司ではありません。
ランコムはハグル王国の特殊任務部隊・中央管理室室長であり、クロエをスカウトした人物です。
クロエは8歳の頃、家族のもとを離れ、ランコムへ託されました。
幼い頃から工作員として育てられたクロエにとって、ランコムは仕事を与える上司であると同時に、長い年月をそばで過ごしてきた特別な存在だったのです。
8歳から続いたクロエとランコムの関係
8歳といえば、本来なら家族に守られながら成長していく時期ですよね。
そんな幼少期からランコムのもとで工作員として生きてきたクロエにとって、彼からの評価や信頼は一般的な「上司から認められる」以上の意味を持っていたと考えられます。
任務を成功させる。
技術を磨く。
求められた役割を果たす。
そうした積み重ねの中で、クロエは組織の中に自分の居場所を作ってきました。
だからこそ「家族の逝去を約3年間知らされていなかった」という事実は、単なる業務上のミスとして片づけられるものではありませんでした。
「これまで信じてきた関係そのものは何だったのか」という問いにつながってしまったのです。
クロエは「ランコムに認められる人生」を歩んできた
クロエは優れた変装技術や体術を身につけ、多くの難しい任務をこなす工作員へ成長しました。
もともとは40代頃まで現場で働き、その後は後輩の育成へ回る人生まで考えており、その道はランコムからも勧められていました。
つまりクロエは、それまでの人生の大部分を「組織の中で働くこと」を前提に組み立てていたわけです。
ところが、家族の逝去が約3年間も伏せられていたことを知ります。
その瞬間、「この人のためなら頑張れる」「ここには自分の居場所がある」という前提そのものが崩れてしまいました。
後にランコムと再会した場面でも、クロエは家族の逝去を知らされないまま働かされたことについて本人と向き合います。
ランコムは、当時クロエが重要な任務を続けていたため知らせなかったことを認め、自分の判断が間違っていたとして謝っています。
この場面からも、ランコムが悪意だけでクロエを傷つけようとしたわけではないことが分かります。
ですが、本人の人生に関わる重大な事実を「仕事のため」という理由で知らせなかったこと自体は消えません。
だからこそ、この出来事は単純な悪役の裏切りより少し複雑で、印象に残るのではないでしょうか。
「信頼していたからこそ許せない」という感情
もし同じことを、クロエとほとんど面識のない上官が命じていたらどうだったでしょうか。
もちろん腹は立つでしょうし、組織への不信感も生まれるはずです。
しかしランコムの場合は違います。
クロエは彼を長年信頼し、兄のような存在として見ていました。
最も分かってくれていると思っていた人が、自分に最も重要なことを知らせなかった。
この構図があるから、ランコムの判断はクロエにとって「上司の判断ミス」ではなく「裏切り」になったのだと思います。
信頼が大きかったぶん、それが崩れた時の衝撃も大きい。
二人の長い関係を知るほど、クロエが何もかも捨てる決断をした理由にも納得しやすくなります。
裏切りを知ったクロエはなぜ組織から消えた?
家族の逝去を隠されていたクロエは、ランコムに抗議してそのまま組織へ残る道を選びませんでした。
彼女が出した答えは、工作員クロエとしての人生そのものを終わらせることでした。
クロエは上司の裏切りをきっかけに組織から姿を消し、隣国アシュベリー王国で一般市民「ビクトリア」として人生をやり直そうとします。
ここから『手札が多めのビクトリア』の本編が本格的に始まります。
「もうここで働き続ける理由がない」と考えた
クロエにとって大きかったのは、家族を失ったことだけではありません。
家族がすでに逝去しているにもかかわらず、その事実を知らない自分が、ランコムや組織のために一生懸命働き続けていたことです。
クロエは後に、自分がランコムにとって妹でも大切な部下でもなく、便利な道具に過ぎなかったのだと受け止めています。
もちろん、これはクロエ側から見た感情です。
ランコム側の描写では、クロエの身を何とも思っていなかったわけではなく、重要な任務や他の工作員の安全まで考慮した結果、訃報を先送りしてしまったことが示されています。
だから二人のすれ違いは、「どちらか一人が最初から完全な悪人だった」という簡単な話ではありません。
ランコムは組織と任務を優先した。
クロエは、自分の人生まで組織に決められていたことに気づいた。
この価値観の決定的なずれが、二人の関係を壊したのだと考えられます。
クロエは自分の逝去を装って脱出する
組織から普通に退職できるような立場ではなかったクロエは、事故とも自らとも受け取れるような細工をして姿を消します。
そしてハグル王国を離れ、アシュベリー王国へ渡り、「ビクトリア・セラーズ」として普通の市民生活を始めます。
ここで重要なのは、彼女が別の国の工作員になろうとしたわけではないところです。
求めていたのは、もっと刺激的な任務でも高い地位でもありません。
自分の意思で暮らし方を決められる「普通の人生」でした。
工作員として非常に多くの能力を持っている女性が、最も欲しかったものは「自分で今日を選べる暮らし」だった。
この少し意外な組み合わせこそ、『手札が多めのビクトリア』の魅力だと私は感じます。
なぜ「退職」ではなく失踪する必要があったのか
クロエは国家の重要な任務を担ってきた工作員です。
一般的な仕事のように、「今日で辞めます」と告げて次の日から自由になれる立場ではありません。
長年の任務で身につけた技能だけでなく、組織や国家に関するさまざまな情報も持っています。
そのため、クロエが本当に組織との関係を断ち切り、新しい人生へ進むには、「クロエはもう存在しない」と思わせるほどの決断が必要だったと見ることができます。
ここにも彼女の「手札の多さ」が生かされています。
かつて任務のために磨いた能力を、今度は組織から自由になるために使う。
同じ能力でも、目的が完全に逆転しているのがおもしろいところです。
裏切りのあとノンナとジェフリーとの出会いは何を変えた?
アシュベリー王国へ渡ったビクトリアは、新生活の初日から予定外の出来事に巻き込まれます。
そこで出会うのが、母親に置き去りにされた少女ノンナと、第二騎士団長ジェフリー・アッシャーです。
この二人との出会いから、ビクトリアの新しい人生が動き始めます。
ランコムの裏切りだけを切り取ると重いエピソードですが、その後の展開を見ると、この出来事が作品全体の「人生を作り直す」というテーマへつながっていることが分かります。
ノンナを「自分の意思」で守る
ビクトリアはノンナを保護し、やがて自分が引き取る道を選びます。
ここは、ランコムとの関係を知ったあとに読むと印象が変わる場面です。
クロエ時代の彼女は、自分の能力を「命じられた任務」のために使っていました。
ところがビクトリアになってからは、自分が守りたいと思ったノンナのために能力を使います。
同じ観察力や判断力、体術でも、誰が目的を決めているのかがまったく違うのです。
私は、ここにクロエからビクトリアへの大きな変化があると思います。
能力そのものを捨てる必要はありません。
自分の持っている「手札を何のために使うか」を、自分で選べるようになることの方が重要なのです。
ジェフリーはランコムと対照的な存在
ジェフリーはノンナを引き取ったビクトリアの身元保証人となり、二人の生活を支える人物です。
誠実な騎士団長であるジェフリーは、ビクトリア、ノンナと少しずつ大切な関係を築いていきます。
ランコムとの大きな違いは、ビクトリアの人生を自分の都合で決めようとする人物として描かれていないことです。
ランコムは、クロエが仕事を続けられるよう家族の逝去を伝える時期を本人に相談せず決めました。
一方、新しい人生でビクトリアが築いていく関係には、「相手の意思を尊重する」という要素が強くあります。
支えることと、相手の人生を支配することは違う。
この対比を意識すると、ジェフリーとの関係は単なる恋愛要素だけではなく、ビクトリアがもう一度誰かを信頼していく過程としても読めます。
ノンナとの関係はクロエ自身の過去とも重なる
ノンナとの出会いには、もう一つ注目したい点があります。
クロエ自身も幼い頃に家族のもとを離れ、8歳から工作員として生きてきました。
一方のノンナも、母親に置き去りにされ、子どもでありながら安定した居場所を失っています。
もちろん二人の境遇は同じではありません。
それでも、自分の人生を大人の都合に左右されてきたクロエが、今度はノンナに対して「この子の人生を勝手に決める人」になるのではなく、守りながら生活を築こうとするところには大きな意味があると私は感じます。
ランコムとの関係で傷ついた「選択する権利」を、ビクトリアは別の誰かから奪うのではなく、むしろ守ろうとしている。
この点も、本作の人生修復物語としての温かさにつながっています。
ハンスたちの過去もクロエの決断に影響していた?
ランコムの裏切りはクロエが組織を去る直接的な転機ですが、それ以前から、彼女には工作員という生き方について考えさせられる経験がありました。
その一つが、若い工作員ハンスの逝去です。
作中では、メアリーが現場で配置を変え、クロエ自身もそれを止めきれなかった結果、ハンスが命を落とした過去が描かれています。
クロエはその出来事を自分とメアリー双方の責任として受け止め、ハンスを忘れないことを自分への戒めにしていました。
ランコムからは、過去の仕事を引きずることについて忘れるよう促された経験もあります。
しかしクロエは、ハンスの逝去まで忘れてしまえば、人として大切な何かを失うのではないかと考えるようになっていました。
ここから考えると、ランコムの裏切りだけでクロエの性格が突然変わったというより、工作員生活の中で少しずつ価値観の揺らぎが積み重なっていたと見る方が自然でしょう。
- 仲間の逝去を経験してきた
- 組織では任務が最優先される
- 自分自身も長年そのルールに従ってきた
- 過去の犠牲を忘れるよう求められたこともある
- 最後には家族の逝去まで任務のために知らされなかった
こうした積み重ねの最後に、「もうここで働き続ける理由がない」という結論へたどり着いたと考えられます。
ランコムの裏切りは突然落ちてきた雷というより、長年積み上がっていた違和感を一気に崩した最後の一撃だったのかもしれません。
ハンスの逝去と家族の逝去に共通するもの
ハンスの件と家族の件には、一見すると直接のつながりがないように見えます。
しかしクロエの心情という視点から見ると、どちらにも「任務のために人の逝去を処理していく世界」という共通点があります。
工作員という立場では、仲間がいなくなっても次の任務が来る。
悲しみ続けることは許されず、前へ進むことを求められる。
クロエはその世界の厳しさを理解し、自身も長く受け入れてきました。
それでもハンスの逝去を「忘れたくない」と思った時点で、クロエの中にはすでに「任務だけを優先する生き方への違和感」が生まれていたのでしょう。
そこへ、自分の両親と妹の逝去まで仕事の都合で伏せられていた事実が重なります。
そう考えると、彼女の失踪は衝動的な行動というより、長い工作員人生の中で積み重なった疑問に対する最終回答だったように見えてきます。
ランコムは本当にクロエを「裏切るつもり」だったのか?
ここからは作中の事実を踏まえた私見です。
私は、ランコムという人物のおもしろさは、本人にはクロエを裏切っているという強い自覚がなかった可能性が高いことだと考えています。
ランコム側の描写では、クロエが家族思いであることを理解していました。
だからこそ、訃報を知らせれば平常心を失う可能性があると考え、大きな任務の終了後まで待とうとします。
さらにクロエの調子が悪くなると、仕事や周囲への影響まで考えて訃報を伏せ続けました。
ここには「クロエを苦しませてやろう」という悪意とは違うものが見えます。
しかし結果的には、その判断がクロエを深く傷つけました。
問題は「正しい情報を本人に渡さなかったこと」
ランコムの判断を一言で表すなら、「クロエのために判断した」のではなく、クロエに代わって判断してしまったことではないでしょうか。
家族が亡くなったと知ったうえで任務を続けるのか。
仕事を休むのか。
組織を辞めるのか。
本来、その選択をする権利はクロエ自身にありました。
ところが家族の逝去そのものを知らされなければ、クロエには選択することすらできません。
ここが、本作のタイトルにある「手札」ともつながって見えます。
手札が多いとは、単に何でもできることだけではありません。
必要な情報と選択肢を持ったうえで、自分の行動を決められることもまた、大切な「手札」ではないでしょうか。
クロエは工作員として変装、体術、語学、判断力など多くの能力を持っていました。
それなのに、自分自身の人生については最も重要な情報を持たされていなかった。
この皮肉が、ランコムの裏切りをより重くしているように私は感じます。
再会時の謝罪で見える「悪人だけではない」複雑さ
その後、クロエとランコムが再会した際には、家族の逝去を知らせなかった件について二人が直接言葉を交わします。
ランコムは重要な任務が続いていたことを理由として説明しますが、クロエから気持ちを問われ、自分の判断が間違っていたことを認めて謝罪します。
この描写があるため、ランコムを単純に「最低の裏切り者」とだけ説明してしまうと、本作のニュアンスを取りこぼしてしまいます。
仕事上は合理的に見える判断でも、本人の人生に関わることまで勝手に決めていいわけではない。
むしろ善意や責任感が混ざっているからこそ、二人のすれ違いは苦いのだと思います。
ランコムの失敗は「守る」と「管理する」を取り違えたこと
私がランコムの行動で特に印象的だと感じるのは、最初の判断には「クロエを守りたい」という気持ちも含まれていた可能性がある一方、それがいつの間にか「クロエを管理する」という行動へ変わってしまったことです。
悲しませたくない。
任務を失敗させたくない。
仲間を危険にさらしたくない。
一つ一つを切り取れば、理解できなくもない理由です。
ところが、そのために本人へ情報を渡さない状態が約3年続いた瞬間、「配慮」という言葉だけでは説明できなくなります。
クロエがどう感じるのかを考えることと、クロエが何を知るべきかまで他人が決めてしまうことは別ですよね。
ランコムはこの境界線を越えてしまった。
だからこそ、悪意がなかったとしてもクロエにとっては紛れもない裏切りだったのだと考えられます。
『手札が多めのビクトリア』の裏切りが物語全体で持つ意味を考察
『手札が多めのビクトリア』は、ビクトリアが新しい人生を作っていく「人生修復」の物語として楽しめる作品です。
その意味で私はランコムの裏切りを、「クロエの人生が壊れた出来事」だけではなく、自分の人生の主導権を取り戻す物語が始まった出来事だと考えています。
クロエとビクトリアの違いは「誰が決めるか」
クロエもビクトリアも同じ人物です。
身につけた技術や知識が突然消えるわけでもありません。
最大の違いは、自分の能力を何に使い、誰と暮らし、誰を大切にするのかを、本人が決めるようになったことです。
クロエ時代は組織から任務を与えられていました。
ビクトリアになってからは、ノンナを守ることも、どこで暮らすかも、自分で選んでいきます。
つまりこれは、「過去を全部捨てれば幸せになれる」という話ではありません。
過去から身につけたものを、自分の意思で使い直していく物語なのだと思います。
この視点で見ると、「手札が多め」というタイトルもとても味わい深いですよね。
たくさんの能力があるから幸せなのではありません。
自分の持つ手札の中から、「今回はこれを使おう」「これは使わない」と選べることこそ、自由なのではないでしょうか。
「手札が多いのに選択肢がなかった」という皮肉
本作のタイトルを裏切りのエピソードと重ねると、さらに興味深い構図が見えてきます。
クロエは非常に優秀です。
変装もできる。
体術も使える。
状況判断もできる。
さまざまな知識を身につけ、難しい任務にも対応してきました。
文字どおり「手札」はたくさんあります。
ところが、そんなクロエが最も重要な自分自身の人生については、「家族が亡くなった」という情報すら与えられず、選択肢を持たせてもらえなかったのです。
能力がたくさんあることと、自由であることは同じではない。
この違いが、ランコムの裏切りを通じてとても分かりやすく表れているように思います。
ビクトリアになってから彼女が手に入れていくのは、新しい超人的な能力ではありません。
すでに持っている能力を「誰の命令でもなく、自分で選んで使える生活」です。
私はここに、本作ならではのタイトルとストーリーのつながりを感じます。
ランコムとの関係があるからジェフリーとの信頼が際立つ
ビクトリアが新天地で築く人間関係にも、このテーマはつながっています。
ランコムとの関係では、クロエに必要な情報を伝えるかどうかをランコム側が決めました。
一方で新しい人生では、ビクトリア自身の意思が尊重される人間関係を少しずつ築いていきます。
その代表がジェフリーです。
私は、ランコムとジェフリーの違いを「悪い男と良い男」という単純な比較にするより、相手のために決める関係と、相手が決めることを支える関係の違いとして見ると、本作がさらに面白くなると思います。
家族を失ったことは取り戻せません。
隠されていた約3年間も戻りません。
それでもビクトリアは、その経験の先でノンナやジェフリーと出会い、「誰と生きるか」を自分で選べるようになります。
だからランコムの裏切りは、物語を始めるためだけの設定ではありません。
『手札が多めのビクトリア』が描く「人生修復」の意味を理解するうえでも、欠かせない出来事なのです。
裏切りは「復讐」ではなく「人生を取り戻す物語」につながる
裏切りを扱う作品では、裏切った相手への復讐が物語の目的になることも珍しくありません。
ところが『手札が多めのビクトリア』で中心になるのは、ランコムへどう仕返しするかではありません。
クロエは組織を離れ、ビクトリアとして自分の生活を作ろうとします。
そこにはノンナとの暮らしがあり、ジェフリーとの信頼関係があり、今まで任務で使ってきた能力を日常の中で生かす場面があります。
だから私は、本作の「裏切り」は主人公を怒りへ向かわせるための装置というより、主人公が自分の人生を取り戻す必要性をはっきり自覚するための転機だと考えています。
過去の相手を倒さなければ前へ進めないのではなく、過去とは別の場所に自分の居場所を作っていく。
忙しい毎日の中で作品を楽しむ側としても、この方向性にはどこかホッとできるものがありますよね。
『手札が多めのビクトリア』の裏切りをネタバレまとめ
『手札が多めのビクトリア』で描かれるランコムの裏切りとは、クロエの両親と妹が火事で亡くなったことを知りながら、重要な任務を続けさせるため本人へ知らせず、その状態を約3年間続けたことです。
ランコムは、訃報を知らせれば家族思いのクロエが平常心を失い、任務や仲間に影響すると考えていました。
しかしクロエにとっては、「仕事のためなら自分の家族の逝去まで隠される」という事実こそが耐えられないものでした。
兄のように慕っていたランコムへの信頼を失ったクロエは、組織に残る理由も見失います。
そして事故などに見えるよう失踪を偽装し、ハグル王国を離れて「ビクトリア・セラーズ」として新しい人生を始めました。
その後、ノンナやジェフリーと出会っていく物語を考えると、この「裏切り」は単なる悲しい過去ではありません。
クロエが、他人に決められていた人生から抜け出し、自分で選ぶ人生へ踏み出す境目でもあります。
個人的には、ランコムに明確な悪意だけがあったわけではないところが、このエピソードをより印象深くしていると感じます。
「仕事を成功させるためには合理的だった」という判断と、「人生の重大な事実を本人へ伝えるべきだった」という倫理は、必ずしも同じではありません。
ランコムは前者を選び続け、クロエは後者を奪われたことで組織を去りました。
そしてビクトリアとなった彼女は、今度こそ自分自身で「どの手札を使い、誰を守り、どんな人生を生きるのか」を選び始めます。
そこまで分かると、「裏切り」は物語の単なる導入ではなく、『手札が多めのビクトリア』という作品全体を貫くテーマにつながった重要な出来事だと見えてきますね。
よくある質問
『手札が多めのビクトリア』でランコムは具体的に何をした?
ランコムは、クロエの両親と妹が火事で亡くなったことを知りながら、重要な任務への影響を考えて本人へ知らせませんでした。
知らせる時期を先延ばしにした結果、クロエが家族の逝去を知るまで約3年が経過しています。
クロエはなぜランコムの行動を裏切りだと感じた?
クロエはランコムを兄のように信頼していました。
ところが、自分にとって最も重要な家族の逝去より仕事を優先されたことで、自分は大切な存在ではなく「仕事に使える人間」として扱われていたのだと受け止めます。
さらに、家族の逝去を知ったうえで仕事を続けるか、休むか、組織を離れるかという選択肢そのものを約3年間与えられなかったことも大きな問題でした。
それが組織を去る決定的な理由になったと考えられます。
ランコムはクロエを苦しめるために家族の逝去を隠したの?
作中で確認できる範囲では、そのような単純な悪意が理由ではありません。
ランコムは、家族思いのクロエへ訃報を知らせれば重要任務に支障が出ると判断していました。ただし後の再会では、自身の判断が間違っていたことを認め、クロエへ謝罪しています。
そのため「悪意のある裏切り者」とだけ見るより、組織を優先しすぎた結果、クロエ本人の意思をないがしろにしてしまった人物と捉える方が、本作の描写には近いでしょう。
クロエは裏切りを知ったあとどうなった?
クロエは工作員として組織に残るのではなく、自分の逝去を装う形で姿を消します。
その後、ハグル王国を離れてアシュベリー王国へ向かい、「ビクトリア・セラーズ」名義で普通の市民として暮らす新しい人生を始めました。
そこでノンナやジェフリーと出会ったことから、物語が大きく動いていきます。
ランコムとクロエはその後再会する?
その後、クロエとランコムは再び向き合う機会を迎えます。
家族の逝去を知らせなかった件についてランコムは当時の事情を説明し、自分の判断が間違っていたことを認めて謝罪します。
ただし、一度失われた約3年間やクロエの信頼が簡単になかったことになるわけではありません。
この「謝ったからすべて元通り」にはならない距離感も、二人の関係を単純な善悪では語れないものにしています。
『手札が多めのビクトリア』の「裏切り」はなぜ物語で重要なの?
ランコムの裏切りは、クロエが「ビクトリア」として生き直す直接的なきっかけだからです。
さらに、単なる過去の悲劇ではなく、他人に人生を決められていたクロエが、自分で選択する人生を取り戻す転換点にもなっています。
変装や体術など多くの「手札」を持ちながら、自分自身の人生を選ぶための情報だけは与えられていなかったクロエ。
そんな彼女がビクトリアとして、自分の手札を自分の意思で使い始めるところに、本作の大きな魅力があります。



コメント